TOLEDOの画像日記

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カテゴリ:旅行( 13 )


2004年 01月 06日

2004年1月6日~9日

1月6日(火)  主顕節   TOLEDO-MADRID

 8:30にHOSTALを出て、オーナーのレストランに行ったが、まだ開い
ていなかった。仕方なく、部屋で開くのを待った。ようやく、9:40に開いた。

 0:00のバスでMADRIDに向かった。地下鉄でYHまで行った。YHの
料金は、朝食つきで、2泊で23ユーロだった。しかし、2段ベッドの10人
部屋だった。
 12:30にYHを出て、GRANVIAやSOL、PL.ーMAYORなどをぶらついた。

 夜のTVでここでのパレードを放送していた。本物の象が歩いていた。また、
いろいろな著名人が挨拶していた。今日は祭りの後という感じだった。

YHの近くのエル・コルテイングレスというデパートのSHOW・WINDOW
に主顕節の物語をあらわした見事なジオラマがあった。あんまりすばらし
いので、写真に撮った。

 年前に安くてうまかった肉屋のBARに行った。
そしたら、やっぱり安くてうまかった。
これで、3.8ユーロだった。ここが、特別なんだと思った。

YHの部屋のメンバーは国際色豊かだった。イタリア人、ドイツ人、インド人、
韓国人などであった。特に、イタリアの学生さんといろいろ話した。彼は、
7か月間スペインの美術館を回って、レポートを書くそうである。MADRID
には4泊するそうで、連日プラド美術館に行っているそうである。ティッセン・
ボルネミッサ美術館を知っていないようだったので、紹介したら喜んでいた。


1月7日(水)  MADRID

1月8日に帰国だから、今日は家族になにかお土産をかわなきゃならない。
これを、怠るともう二度と、スペインへこれないかもしれない^^::自分の
最も苦手な分野である。もっとも、かみさんのご要望で、買うものは決まってる。
「ルイ・ヴィトン」のバッグである。スペインといえば、「ロエベ」「ヤンコ」など名の
通ったブランドがあるのに・・・。

ガイド・ブックは「地球の歩き方」を持っていったので、そういうブランド店は、
掲載されてなかった。しかし、コロン広場にあるだろうとめぼしをつけて、適当
に歩いたら、「ルイヴィトン」があった。ドアのところにガードマンがついて、
すごい警戒ぶりだった。自分は、排除されかねない感じだけど、日本人だから
難なく入れた。ありがたいことに日本人の店員もいて、さっさと用事が終わった。
用心して、TAXIでYHまで帰った。
次は「三越」である。なんと、MADRIDの三越のWEBサイトにアクセスし、自分の
名前を書き込み、PRINTをもっていけば、パエリアの鍋が無料進呈されるとあった。
中に入ったら、日本人の団体さんがガイドさんから説明をうけていた。買い物したら、
TAXIでHOTELまでもどるように何度も言われていた。・・すごい警戒ぶり^^;;
例のPRINTを見せたら、すぐに鍋を出してきてくれた。パエーリアのレシピつきである^^

次は子どもたちや父や母へのお土産である。ここは、スペインの国民的デパート
「エル・コルテイングレス」に直行である。息子に「リアルマドリッド」のGOODS。
あとは、文房具をわんさか買った。わたしは、良し悪しは別として決断が早い
ほうであるが、それにしてもお土産の買い物は疲れる。それは、使う目的の
ないものを買わなきゃならないからである。
ここも主顕節の飾りが、ど派手ですごかった。

YHにもどると、またメンバーが変わっていた。今度は、パキスタン人の
「ハッシュッ」さんという人が加わった。驚いたことに、いきなり日本語で
自己紹介してきた。日本に滞在していたことがあるそうである。ものすご
く社交的で、英語、スペイン語、フランス語も使っていた。


1月8日・9日  MADRID-CHITOSE


 よいよ、スペインを発つ日が来た。免税手続きをするために、免税店で
買ったものを、小さいバック・パックにつめた。そのため、朝6時に起きた。


7:30にYHを出た。バラハス空港に着いて、SASスカンジナビア航空)の
カウンターを探すが、なかなか見つからない。結局、SPANAIRとシェアー
便であることがわかり、なんとか乗ることができた。

しかし、11:05発の飛行機が、13:40に飛び立った。1時間30遅れと
表示されていたが、タイ人が間違って乗ったらしい。遅れたために、
搭乗券とパスポートの確認をしないままに乗せたためだ。しばらく、リスト
を持った係員が何度も自分のところに来た。完全に自分を疑っているらし
かった。名前を訊いたり、パスポートを確認したり、搭乗券の半券をみたり、
自分だけ時間をおいて行っていた。40分ぐらいたって、ようやく全員の半券
とパスポートを確認しだした。そして、自分の前5列目のおじさんがそれと
わかった。そのおじさんは、スペイン語も英語もフインランド語もわからな
くて、悠然としていたのだ。自分がタイ人と思われていたことに、少し複雑
な思いが・・。

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コペンハーゲンに着いたら、次のフライトには、完全に遅れていた。そのこ
とを、SASのデスクに告げて、同時に国内便の遅れも告げた。そうすると、
フランクフルト経由で、なんとか間に合う便を手配してくれた。

しかし、羽田と成田のインターバルの時間が1時間しかないので無理だ
と言ったら、そのときは成田のSASのスタッフに言ってくれと言われた。
コペンハーゲンからフランクフルトまでの飛行機は、1時間ぐらい遅れた
。フランクフルトでの乗り継ぎが心配だったが、フランクフルトから成田ま
での飛行機が全日空だったために、全日空の現地の係員が出迎えてく
れた。それも、ドイツ人のすごい美人のおねえさんだった。(*^_^*)
日本語が上手で、札幌からというと、札幌に行ってみたいそうで、いろ
いろ話をした。なによりも、フランクフルト空港はヨーロッパで3番目に
大きい飛行場だから、大変助かった。一人だったら、次の飛行機に乗
り遅れていただろうと思う。目の保養にもなったし・・・・(*^_^*)
成田で羽田から千歳の便を全日空の係員に相談したら親切に次の
便を手配してくれた。千歳に着いたのが午 後9時半だった。気温は
マイナス13度だった。さすがに北海道は寒い。




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by toledo817 | 2004-01-06 12:06 | 旅行
2004年 01月 05日

2004年1月5日

1月5日(月) TOLEDO


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TOLEDOのYHはお城である。日本からはがきで、そのYHに予約してあった。
8:30にHOSTALを出て、YHのあるサン・セルバンド城に向かった。しかし、
その予約カードは英語表記だったためか、受け付けられていなかった。
予約リストになかった。まったく、英語が通じなくて困った。そしたら、
レセプションのおばさん(ちょっときれいなおばさん)がHOSTALを紹介
してくれた。そしたら、昨夜泊まったHOSTALであった。仕方なく、もう
1泊同じところに泊まった。

 途中で、銀行があったので2万円両替した。ここは、1番レートがよか
った。1万円=72ユーロだった。

 両替が終わって、ソコドベル広場を歩いていたら、突然サイレンが鳴り、
パトカーがやってきた。なかに、仮装した人が乗っていて、道路に飴をば
らまいた。これは、特別なご利益があるに違いないと思ったので、急い
で拾った。

TOLEDOに着いて、思ったことはずいぶんきれいになったということである。
2年前と比べて、ずいぶん変わっている。人もものすごく多い。
11:00発のソコトレンに乗ることにした。

これも、2年前にはなかったようにように思う。タホ川の外周を回って、
TOLEDOの街の狭いところも回ってくれる。これは、ものすごくいい
ものである。3.6ユーロの乗車券で50分ぐらいかかった。ただ、
石畳の振動やブレーキなどで、カメラを落としかねない。これは、
注意が必要である。
そのあと、ボーンステーキの昼食を食べた。
食事が終わり、サント・トメ教会のエルグレコを見た。2年ぶりだが、
変わらずかっこよかった。


 南に向かって歩き続けた。途中で路地を描いた。そして、タホ川
の川岸の古城跡をスケッチした。夕方になり、西に向かって歩いた。
そして、サン・マルティン橋をスケッチした。


日が暮れたころにソゴドベル広場に行くと道の両側にすごい
人垣ができていた。なにやらあるらしいと思い、ことが起こるのを
待っていた。そしたら、山車のパレードである。土派手な山車の上
から仮装した子どもが飴を投げてくれる。


この上の写真の男の子が自分の阪神優勝の帽子を出したら、
ドサッと飴を入れてくれた。だから、今も飴を食べながらこれを
書いている。主顕節は1月6日であるが、正確には1月5日の
日没から始まるらしい。


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by toledo817 | 2004-01-05 11:56 | 旅行
2004年 01月 04日

2004年1月4日


1月4日(日)  CAMPO de CRIPUTANA-TOLEDO

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最後はやっぱり、ハンドルネームであるTOLEDOに行こうと思った。
それは、自分が一番好きな街だからである。朝。8:30にオスタルを
出た。TAXIをよんで貰った。TAXIは、ベンツだった。普通の自動車
のようで、メーターもついていない。料金が、ちょっと心配だった。い
かつい顔をした運ちゃんのご機嫌をとろうと、日本ではベンツが高級
車であることを、スペイン語混じりの英語で教えようとしたが、さっぱ
りだった。思いっきり、「ノー・コンプレンド」(わかりません)と言われ
てしまった。アルカサル・サンファン駅に着いたら、駅舎の反対だっ
たが、親切に地下通路を案内してくれた。料金も9ユーロで、行き
よりも安かった。人は、見かけで判断してはいけない。

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 アランフェスまでの列車は、14:00発だった。時間がもったいない
ので、12:04発のマドリッド行きに乗ることにした。時間が、3時間あ
るので、アルカサル・サンファンの街をぶらついた。

 TAXIを降りた側に崩れかけた壁があったのでスケッチした。しかし、
水を忘れたので色がつけられなかった。

マドリッドに12:17に着いた。歩いて、南バスターミナルに行った。
ちょうど、14:00発のバスがバスはけっこう満杯だった。1時間20分
でTOLEDOに着いた。

 太陽の門の近くのオスタルに着いた。はじめ、満杯だと言われたが、
おかみさんが出てきて、1つだけ空いているから、どうぞといってくれた。

 ソコトレンに乗りたいと、乗り場を探すがなかなかソゴトベル広場が
見つからなかった。
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by toledo817 | 2004-01-04 11:51 | 旅行
2004年 01月 04日

2004年1月3日

1月3日(土)  CAMPO de CRIPTANA

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朝、9:30にオスタルを出て、風車に向かった。入り口付近にある風車が、
インフォマシオンになっている。しかし、まだ開いてはいなかった。そしたら、
道をはさんだ向かいの風車からおじさんが手招きした。入ると、風車の
構造を教えてくれた。そして、皮の水筒に入ったワインを水鉄砲みたく飲
ませてくれた。すごく冷えておいしかった。値段を訊いたら1本2.5ユーロ
だったので買うことにした。

列車の時刻が知りたかったので、またインフォマシオンの風車に行った。
そしたら、係の人がちょうど来たところだった。そして、訊いたら方々に
電話してくれて、結局ないことがわかった。けれども、アルカサル・サン
ファンからアランフェス行きの列車の時刻まで気をきかせて調べてくれ
た。情報を得た人は、ノートになにか書くらしい。自分も書いていると、
前の人が係の人の似顔絵を描いてあったので、私にも描けと冗談らし
く言ってきた。本当に、描いてあげたら、すごく感激してくれて、売り物
のPOST CARDにスタンプを押してくれた。


ずいぶん、寒い日だったが、心があったかな気分だった。風車とその
反対の家を2枚同時に描いた。絵を描いていると、2台観光バスが止
まった。いずれも日本人の団体だった。30分でいなくなった。そのう
ちの1台の団体の人が話しかけてきた。そしたら、旭川と札幌の人だった。
しかも、旭川の人は、以前にトルコでご一緒して今でも交流の  
ある方の知り合いだった。本当に地球は狭いものだなと思った。


小さな街であるが、マヨール広場は夜になるとお祭りのような賑わい
である。主顕節が近いからであろうか。この寒空に、大勢が集まって
楽しそうに談笑している。

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by toledo817 | 2004-01-04 11:46 | 旅行
2004年 01月 02日

2004年1月2日

1月2日(金)  GRANADA-CAMPO de CRIPTANA

ラマンチャ地方に行くか、それともMADRIDでサッカーを見ようか迷った。しかし、
最後の2日はMADRIDに予約してあるので、むだに時間を使わないように、
ラマンチャの風車の街、カンポ・クリプタナに向かった。

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朝6:00に起きて、6:30にオスタルを出た。7:00にRENFEの駅に着いた。
7:55発のアルカサル・サンファン行きに乗った。アルカサル・サンファンで
バス・ターミナルを探したが、なかった。仕方なく、駅前のTAXIに聞いたら、
10ユーロで行ってくれるそうである。道々、周りを見ていたら、丘の上にけ
っこう風車が並んでいる。この付近の丘には風車が多いのである。

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TAXIをマヨール広場につけてもらって、宿を探したら、すぐにかった。宿は、
マヨール広場に面していた。着くとすぐに荷物をおろして、駅を探しに出か
けた。てっきり、駅は街の中央にあるものと思っていたが、聞いていったら、
ずいぶんはずれに無人駅があった。
しかし、そこで2枚、絵が描けた。

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by toledo817 | 2004-01-02 11:42 | 旅行
2004年 01月 01日

2004年1月1日

2004年1月1日 (木) 元旦  GRANADA

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1年の計は元旦にありと思い、8:30に起きた。はりきって、外に出たが、むちゃくちゃ寒かった。
1月2日はGRANADAのアルハンブラ宮殿が落城した日なので、ここだけ特別祝日だ。念のため
RENFEの切符を買いに行った。カンポ・クリプターナに行きたいと思ったので、アルカサル・サンフ
ァンまでの切符を買った。26.50ユーロ。そして、HOSTALにもどり、電話で宿を予約した。

 翌日は、朝早いので、宿泊代を払った。

 そして、アルバイシンからサクロモンテに向かった。サクロモンテは山に横穴を掘り、住居とし
ているところである。洞窟住居はクエバという。冬暖かく、夏すずしいそうである。


この日も、絶望的に寒かった。日が照っているときはいいのだが、日がかげると、ほんと
寒かった。絵の具が乾かなくて苦労した。

 1月1日も、中華のレストランに行った。そして、インターネットで日本にメールを送った。


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by toledo817 | 2004-01-01 11:36 | 旅行
2003年 12月 30日

2003年12月30・31日

12月30日(火)  RONDA-GRANADA


7:30にHOSTALを出た。まだ、外は真っ暗だった。GRANADA行きは8:45だった。
列車はANDALUCIA RENFE というローカル線であったが、すごい揺れであった。
スプリングが底づきする音がゴンゴンなるのだ。はがきを書こうと思ったが、すごい揺
れで字がおどる。
昼ごろGRANADA駅に着いたが、方向を間違い2時間もかかって、HOSTALに着いた。
1泊14ユーロで、親切というHOSTALに行った。管理人が不在であったが、記帳をみた
ら感謝の言葉で埋め尽くされていた。1時間ほど待っていたら、管理人がやってきて、
予約はしているか聞いてきた。しかし、予約はしていないというと、気の毒そうに満杯で
あると伝えてきた。どうしようかと考えていたら、上のオスタルに聞いてごらんと、親切
に教えてくれた。
上で、3泊したいと伝えたら、OKが出た。16ユーロとちょっと高いが、たいして変わら
ない。

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一休みして、フラメンコのショーを扱っているか聞いた。そしたら、HOSTALのすぐ下の
交差点からバスが出るそうである。行きたかったロスタラントスというタブラオの券が
23ユーロだった。
21:00にバスが出るそうである。それまで、腹ごしらえをして、シャワーをあびて、待った。
しかし、バスが来たのが9:40ごろだった。えらく寒かった。しかし、さすがにいいショーだった。
やっぱりANDALUCIAのフラメンコはいい。英語のガイドがアルバイシンを案内してくれた。
とても、いい時間を過ごすことができた。


12月31日(水) 大晦日  GRANADA

a0009040_16341214.jpgGRANADA」

今日は、GRANADAのARBAIZINを描くことにした。 新しくできた「GRANADA EYE」を
探した。ここは、レオナルド・ダ・ヴィンチも使っていたカマラ・オスクーラという装置で
GRANADAを眺望する珍しい装置があるところである。散々迷って、見つけたのだけど
あいにく、休みだった。


この日のGRANADAはものすごく寒かった。絵の具が乾かなくて、ずいぶん苦労した。

夕方になってきた。いつもは、開いているバルがしまっている。そうか、大晦日だ。
寒いのも手伝って、夕食が心配になってきた。イサベル・カトリカ広場の向こうに
「日本語情報センター」という張り紙を見つけた。情報を集めに入ってみた。すると、
中華以外の店は閉まるらしい。丁寧にその中華屋さんのメニューに印をつけてくだ
さった。驚いたことに、この事務所の運営は完全な個人が自発的に行っている。
はじめは、ギターを学びにいらしたらしいが、長くグラナダに住むうちに、日本人
になぜ生きるのかということをこういう交流を通して問いかけてみたいと思ったそ
うである。役立つ情報パンフレットもいただいた。感謝である。

本当は、シェリー酒のメッカ ヘレス・デラ・フロンテーラに行きたかったのであるが、
どうも行けないようなので、口だけでもと思い「ヘレス」を食前酒として飲んだ。これは、
絶品だった。
この中華屋さんは「末星酒楼」というが、一番左のフカヒレスープがなんと1.90
ユーロだった。これだけ食べて、飲んで、ヘレスも飲んで15ユーロだった。感激!

5年ぶりのGRANADAはずいぶん変わっていた。前にスケッチしたところが、広場
になっていた。オスタルの前のPLAZA NUEVA はダーロ川の川岸の道路だった
のである。そこを埋め立てて、真新しい建物が建っていた。そこの通りを「たそがれ
という題で100号に描いたことがある。なくなって、ちょっと、さびしかった。

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by toledo817 | 2003-12-30 16:30 | 旅行
2003年 12月 28日

2003年12月28・29日

12月28日(日)  あいにくの雨  RONDA

9:00に起きたが、雨降りだった。仕方なく、エアコンの温度設定を36度にして、13:00までTVをみていた。ずっと、TVもラジオもない生活だったので、あまりの快適さに感激した。少し晴れてきたので、半乾きのジャケットを着た。ズボンはまだ濡れていたので、オーバーズボンだけをはいて出かけた。
目抜き通りの中央付近に広場があった。すごい人であった。栗の焼けるいいにおいがした。新聞紙でつくった三角の入れ物に大きい焼き栗が10個ほど入って1ユーロだった。すごくおいしかった。それをほうばりながら、西の方向に歩いた。すると、真っ白な闘牛場があらわれた。

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ヌエボ橋からのながめは、さすがに絶景だった。100mはあろう渓谷もすごいが、まわりに広がる丘陵地帯の景色はすばらしい。ヌエボ橋を渡って向こうに旧市街がある。そこが見所なのだが、谷の西側に農家が見える。そこまで行くことにした。
谷を降りてしばらく歩いたら、実をたわわにつけた柿の木があった。スペインにも柿の木があったんだなあと思った。

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夜、テレビをつけっぱなしで寝ていたら、9時ごろテレビの電源が自動で切れた。しばらくたっても
つかなかった。それどころか、電灯も点かないし、エアコンも動かない。部屋の電気が切られたと思い、ロビーに出たら、ロウソクの前におばさんがすまなそうに立っていた。停電である。外を見て
みたら、街中停電だ。懐中電灯が役立った。

12月29日(月) RONDA

HOSTALははじめ2泊を頼んでいたが、旧市街の東側をみてみたかったので、もう一泊することにした。

紙をファブリアーノ紙に変えたために、強い色がのるように次の場所は、年が明けるので、比較的大きい街を訪れることにした。
 5年ぶりにGRANADAに行くことにした。HOSTALは安いところなので、TVがないと思うので、トランジスタラジオとCDを買った。ラジオは日本製だった。12ユーロ。
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by toledo817 | 2003-12-28 16:26 | 旅行
2003年 12月 26日

2003年12月26・27日

12月26日(金)

蠅のように群がる詐欺師にうんざりして、スペインに帰りたくなってきた。フェリーの揺れがひど
いんで2泊しようとも思ったが、紙のはじきが強すぎて、どうもうまく描けない。フランスかイタリ
アの紙を手に入れたいと思った。そのために、大都会のSEVILLAに行くことにした。


さすが、悪名高いTANGERである。フェリー乗り場で最後の洗礼をうけてしまった。てっきり、
発券会社の人かと思いパスポートのコピーを渡したら、出国カードを書いて来た。自分で書く
からと言ったら、これが俺の仕事だというわけ。仕方なく、1ユーロチップをあげたら、5ユーロ
よこせときた。
 まあ、これっきりと思い払った。そしたら、税関のところで、パブリックのものだということで、また
出国カードと乗船券をとられた。そして、OKだ。チップよこせときた。パブリックなのに、いるのか?
と言って、今度は断固拒否した。そして、あきらめたのか、帽子を交換しようと言い出した。阪神の
優勝の野球帽をかぶっていたのだ。これは、妹のプレゼントだからだめだと言った。なんか、スポー
ツやってるのかときいてきたから、カラテだと答えた。右手のこぶしに、バドミントンでできたたこが
できている。捕球するとき、床にそこがつくことが多くて、たこができているのだ。こぶしを見せて、
自分はブラックベルトだといったら、さすがにちょっとひいた。ついでにJUDOも3段だとうそぶいた。

フェリーの代金は233DHだった。ポケットに300DHあったので両替したら、26ユーロだった。

帰りのフェリーでは日本人と出会った。二人連れの青年とモロッコの出来事などをいろいろ話した。
やはり、内陸の景色は相当いいらしい。

アルヘシラスには13時半についた。それから、15時30分のバスでSEVILLAに向かった。


12月27日(土) SEVILLA-RONDA
アルヘシラスからバスでSEVILLAへ向かった。途中、グアダルキビル川の湿地帯があって、
たくさんのクリークがみれた。スペインらしからぬ、風景が広がっていた。どこか、北海道の
十勝を思わせる風景だ。とどまって、絵を描きたい衝動にかられたが、SEVILLAのYHに
予約していたので、仕方なくSEVILLAに向かった。紙のこともあるし・・。
SEVILLAはさすがに大都会だった。イタリアのファブリアーノ紙とイギリスのコットマン紙を
手に入れることが出来た。ずいぶん高いのにびっくりした。日本より高いかもしれない。
100%コットンの23×30.3cm、20枚つづりのブロックのファブリアーノ紙が23ユーロ
もした。ファブリアーノのブロック2個とコットマンのブロック1個を買った。
久しぶりに、野菜が食べたくなった。中華料理屋とインターネット・カフェをさがしたが、すぐに
みつかった。中華は野菜サラダ、チャーハン、魚の油で揚げたものにソースをかけたもので
あった。12ユーロだった。

朝、8:00に起きて、RONDAに向かった。YHからSEVILLAのバス・ターミナルまで歩こうと
思ったが方向を間違い、停留所の地図で現在地を確認していたら、親切なおばさんが、バス
・ターミナル行きのバス停まで連れて行ってくれた。そして、道を聞く構文「ドンデ・エスタ~」
を何度も教えてくれた。こういう、親切があれば、SEVILLAの街そのものに対する印象が違
ってくる。1泊で去ることが申し訳なく思ったほどである。絶対に、今度は5泊以上はしたいと
思った。

RONDA駅のすぐ前のHOSTALに泊まった。部屋にはエアコンとTVがありとても快適だ。
洗濯もたまっている。ズボンもサッカーやったせいで茶色くなっている。おばさんも親切そうだ。


まずは腹ごしらえということで、パエリアを食べた。7ユーロ。そして、洗濯をした。

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by toledo817 | 2003-12-26 16:15 | 旅行
2003年 12月 24日

2003年12月24・25日

12月24日(水) クリスマスイブ  CASARES-ALGECIRAS

クリスマスなので、バスの運行が心配でインフォマシオンに聞きにいった。そしたら、25日
は運休で、今日も16:00のバスしかないそうである。本当は、5泊する予定だったが、4泊
にしてもらった。そして、急いでカテドラル付近のスケッチに出かけた。


最後に毎日、タパスだけつまんでいたレストランで食事した。給仕のおねえさんが、なかな
かかわいかったのだ。おにいさん2人と妹なのかと思って、トリーブラザー?ときいたらノン
だと答えた。
「ほんとかなあ?」今でも、そう思っている。
16;00のバスでエステポナ経由でアルヘシラスに向かった。

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12月25日(木)  クリスマス ALGECIRAS-TANGER
HOSTALはアルヘシラスの市場の近くにあって、わりと簡単にみつかった。両替屋で、換金
したら、10000円は65ユーロだった。損した気分。
 フェリー乗り場にTANGER行きの乗船券を買いに行った。24.5ユーロだった。
朝、5時に起きて7時の船に乗った。外は、真っ暗であった。船でDH(デュラハム)に両替しよ
うとしたら、港でしてくれと言われた。船は2時間半でタンジェに着いたが、すごい揺れで吐き
そうになった。




9時半に無事タンジェに着いた。フェリー乗り場の出口の門で両替したら、10000円は
820DHだった。その両替の係の人は日本語で話しかけてきた。どこからというから、
札幌と答えたら滝川におねえさんが嫁いでいるそうである。HOTELをさがしていたら、
へんな男が現れた。安いHOTELを紹介するというのである。しかし、値段を聞いたら
120DHだったのでOKした。

メディナに近づいたところで、ひとりの男が話しかけ来た。メディナは危ないから案内
するというのである。いくらだと聞いたら、自分はガイドではなく、STUDENTだと答えた。
あやしいと思ったので、ひとりにしてくれと言ったが、ずっと着いてきた。仕方がないの
でスケッチすることにした。2時間スケッチしてれば、たいていのやつは、しびれをきら
して逃げて行く。案の定、1時間で本音を吐いた。これまで、案内したのだからチップをく
れというのである。ガイドではないやつにはやらないと断った。かなりごねていたが、
30分ぐらいしたらいなくなった。近寄ってくるやつは、悪いやつが多いが、ふつうの店
は驚くほど安かった。昼飯の魚のランチは20DHだった。ミントティーもおいしくて、
7DHだった。
へんなやつが多くて、すっかりつかれたので、海岸に行った。そしたら、またへんな
男が近づいてきて、がらくたをみせてくれた。ずいぶん法外な値段を言っていた。

 遠くで、サッカーをしていた。ずっと、見ていたら入れと言ってくれた。自分も昔、
サッカーをしていたので、入れてもらった。気をつかってくれて、いいパスをまわ
してくれる。何点か入れることができた。2時間ぐらいしたが、気分が晴れてきた。
あるレストランで、ミントティーを頼んだら、15ユーロも要求してきた。15DHの間
違いだろって、それ以上払わなかった。こういうこともあったので、夕飯は値段表
のあるレストランで食べた。これだけ頼んで105DHだった。

 言い忘れたが、なぜクリスマスにタンジェに来たかというと、クリスマスぐらいち
ゃんとしたとこでご飯が食べたかった。スペインだと、レストランが休みなのだ。

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by toledo817 | 2003-12-24 16:09 | 旅行