2003年 12月 30日
12月30日(火) RONDA-GRANADA 7:30にHOSTALを出た。まだ、外は真っ暗だった。GRANADA行きは8:45だった。 列車はANDALUCIA RENFE というローカル線であったが、すごい揺れであった。 スプリングが底づきする音がゴンゴンなるのだ。はがきを書こうと思ったが、すごい揺 れで字がおどる。 昼ごろGRANADA駅に着いたが、方向を間違い2時間もかかって、HOSTALに着いた。 1泊14ユーロで、親切というHOSTALに行った。管理人が不在であったが、記帳をみた ら感謝の言葉で埋め尽くされていた。1時間ほど待っていたら、管理人がやってきて、 予約はしているか聞いてきた。しかし、予約はしていないというと、気の毒そうに満杯で あると伝えてきた。どうしようかと考えていたら、上のオスタルに聞いてごらんと、親切 に教えてくれた。 上で、3泊したいと伝えたら、OKが出た。16ユーロとちょっと高いが、たいして変わら ない。 一休みして、フラメンコのショーを扱っているか聞いた。そしたら、HOSTALのすぐ下の 交差点からバスが出るそうである。行きたかったロスタラントスというタブラオの券が 23ユーロだった。 21:00にバスが出るそうである。それまで、腹ごしらえをして、シャワーをあびて、待った。 しかし、バスが来たのが9:40ごろだった。えらく寒かった。しかし、さすがにいいショーだった。 やっぱりANDALUCIAのフラメンコはいい。英語のガイドがアルバイシンを案内してくれた。 とても、いい時間を過ごすことができた。 12月31日(水) 大晦日 GRANADA GRANADA」 今日は、GRANADAのARBAIZINを描くことにした。 新しくできた「GRANADA EYE」を 探した。ここは、レオナルド・ダ・ヴィンチも使っていたカマラ・オスクーラという装置で GRANADAを眺望する珍しい装置があるところである。散々迷って、見つけたのだけど あいにく、休みだった。 この日のGRANADAはものすごく寒かった。絵の具が乾かなくて、ずいぶん苦労した。 夕方になってきた。いつもは、開いているバルがしまっている。そうか、大晦日だ。 寒いのも手伝って、夕食が心配になってきた。イサベル・カトリカ広場の向こうに 「日本語情報センター」という張り紙を見つけた。情報を集めに入ってみた。すると、 中華以外の店は閉まるらしい。丁寧にその中華屋さんのメニューに印をつけてくだ さった。驚いたことに、この事務所の運営は完全な個人が自発的に行っている。 はじめは、ギターを学びにいらしたらしいが、長くグラナダに住むうちに、日本人 になぜ生きるのかということをこういう交流を通して問いかけてみたいと思ったそ うである。役立つ情報パンフレットもいただいた。感謝である。 本当は、シェリー酒のメッカ ヘレス・デラ・フロンテーラに行きたかったのであるが、 どうも行けないようなので、口だけでもと思い「ヘレス」を食前酒として飲んだ。これは、 絶品だった。 この中華屋さんは「末星酒楼」というが、一番左のフカヒレスープがなんと1.90 ユーロだった。これだけ食べて、飲んで、ヘレスも飲んで15ユーロだった。感激! 5年ぶりのGRANADAはずいぶん変わっていた。前にスケッチしたところが、広場 になっていた。オスタルの前のPLAZA NUEVA はダーロ川の川岸の道路だった のである。そこを埋め立てて、真新しい建物が建っていた。そこの通りを「たそがれ という題で100号に描いたことがある。なくなって、ちょっと、さびしかった。
by toledo817
| 2003-12-30 16:30
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